「嫌われる」ことの不利性と、「好かれる」ことの果てしない優位性について

こんにちは。
今日は「嫌われると、なんでこんなに不利なのか?」というテーマについて、ちょっと考えてみたいと思います。
同時に、「好かれるって、想像以上に最強なのでは…?」という話にも触れていきますね。


嫌われるだけで、なぜか全ステータスが下がる不思議

まず率直に言いますが、「嫌われる」って、それだけでめちゃくちゃ強いデバフになります。

冷静に見れば筋の通ったことを言っているのに、なぜか反発を食らう人っていますよね。
インフルエンサーでも、政治家でも。具体名は出しませんけど

「あの人の言うこと、なぜああも刺さらないのか…」

「毎回噛みつかれて大変そうだな…(もしくはざまぁみろ)」

という例、きっと思い当たる節があるはずです。

たとえ発言が正論でも、「嫌われている」というだけで、内容の価値すら下がってしまう。
これ、もうバグに近い現象だと思います。


逆に、「好かれる」って最強のバフじゃない?

一方で、「好かれている人」って、なんかこう、世界が味方してくれてる感ありませんか?

冷静に聞けば、実はそこまで深いことは言っていないのに、「さすが○○さん!」って称賛されちゃったり。
ちょっとミスをしても、「もう〜、かわいいなあ」で済まされたり。

つまり、「好かれる」ということは、それだけで全ステータスが底上げされるバフ効果を持ってるってことなんですよね。
ずるい? いや、これが現実なんです。


好き嫌いって、感情のバグなんじゃないか説

ここまで書いててふと思ったんですが、
「嫌われる」も「好かれる」も、冷静な判断をぶっ壊す力があるんですよね。

冷静に聞けば正論なのに響かない。
冷静に考えたら普通の言葉なのに、なぜか心に残る。

つまり、“好き”と“嫌い”って、それだけで人の理性をバグらせてしまう何かなんじゃないかと。


決めるのは、いつだって感情

人って、最終的な決断は理屈ではなく感情で決める生き物なんだそうです。
ロジカルに検討したように見えても、最後のひと押しは「なんとなく好きか、嫌いか」。

だから、「好かれている」という状態は、相手の決断にまで良い影響を与える。
逆に「嫌われている」と、その人が持っているどんな提案や行動も、なぜかうまくいきにくくなる。

冷静に見れば、おかしいくらい理不尽な話ですけど……でも、これが人間社会というものなんですよね。


というわけで

「嫌われても気にするな」とはよく言いますが、現実にはけっこうなハンデになる場面が多いです。
そして、「好かれる」ということは、想像以上に強力な武器になります。

だからこそ、「好かれるために媚びろ」とまでは言いませんが、
ちょっとした気配りや誠意ある対応を丁寧に積み重ねていくことで、
人生って、思ってるよりもずっとスムーズに流れ始めるのかもしれません。

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